若旦那の夢【参代目の挑戦】

経営理念を体現するということ

亀山温泉ホテルの経営理念は、

私たちはお客様にぬくもりを届け、今ある宝物(自然・文化・郷土)を大切にしながら、共に挑み、共に喜び続けることで、地域の未来の幸せが湧き出る源泉を宿し続ける

というものです。

そして、私たちが大切にしている価値観は、

ALL WIN
挑戦
貢献


です。

正直に言えば、私はこの理念を完璧に体現できているわけではありません。

ALL WINを掲げながら、自分本位になってしまうこともあります。
挑戦を掲げながら、現実に足を取られることもあります。
貢献を掲げながら、焦りや承認欲求が出てしまうこともあります。

でも、だからこそ理念が必要なのだと思います。

理念とは、できている人間の勲章ではありません。
できない自分を何度も立ち上がらせる、未来からの呼び声です。

できないから、もがく。
もがくから、考える。
考えるから、言葉になる。
言葉になるから、人に届く。
人に届くから、流れが生まれる。

その流れを、旅館へ、スタッフへ、お客様へ、地域へ還元していきたい。

実業家として、現場で証明する

私は、ただの成功者として語りたいわけではありません。

今もなお、旅館再建の途中です。
毎月の数字に向き合い、人の問題に悩み、現場の課題に揺さぶられています。

でも、だからこそ言えることがあります。

完成してから語るのではなく、
もがきながら学び、言葉にし、行動に変える。

これが、私自身の生き方であり、亀山温泉ホテルの挑戦です。

外の世界から火種を拾い、
自分の中の薪に着火し、
現場で炎にする。

学びとは、知識を増やすことではありません。

世界の見え方を変え、
行動を変え、
現実を変えること。

これからも私は、旅館という現場で学び続けます。
そして、その学びを言葉にし、行動にし、地域の未来へ還元していきます。

よっしゃー。



最近、自分の中で大きくつながった思考の型があります。

それが、

アナロジー思考
ロジカル思考
クリティカル思考


そして、

ドリーマー・リアリスト・クリティスト

さらに、

具象 → 抽象 → 具体

という流れです。

一見、難しい言葉に見えるかもしれません。
しかし、旅館経営の現場に置き換えると、とても大切な考え方です。

出来事を、ただの出来事で終わらせない

旅館を経営していると、毎日さまざまな出来事が起こります。

お客様からいただく嬉しい言葉。
時には厳しいご意見。
スタッフとの会話。
地域の方とのつながり。
売上や人手不足への不安。
施設の古さや課題。
そして、自分自身の未熟さ。

これらは一つひとつを見ると、ただの日常の出来事です。

しかし、その出来事を一段深く見つめると、そこには必ず学びがあります。

例えば、お客様からのご指摘があったとします。

その時に、ただ「申し訳なかった」で終わらせるのではなく、

「お客様は何に不安を感じたのか」
「どの瞬間に期待とのズレが生まれたのか」
「次に同じことが起きないためには何を変えるべきか」

と考える。

これが、具象から抽象へ上がるということです。

そして、そこからもう一度、具体的な行動に落とし込む。

接客の言葉を変える。
館内案内を見直す。
スタッフとの共有方法を変える。
予約時の説明を変える。

ここまで行って、初めて学びは現場を変える力になります。

具象 → 抽象 → 具体

私はこの流れを、とても大切にしたいと思っています。

具象とは、目の前で起きている現実です。
お客様の声、スタッフの反応、地域の変化、自分の感情などです。

抽象とは、その奥にある本質を考えることです。
なぜそれが起きたのか。
何を教えてくれているのか。
別の場面にも使える法則は何か。

具体とは、それを行動に変えることです。
商品にする。
接客にする。
仕組みにする。
発信にする。
スタッフ教育にする。

最後の具体まで落とし込まなければ、学びはただの知識で終わります。

私は実業家です。
旅館という現場があります。
お客様がいます。
スタッフがいます。
地域があります。

だからこそ、学んだことは必ず現場に戻さなければならないと感じています。

夢を見る自分、現実にする自分、問い直す自分

もう一つ、大切にしたいのが、

ドリーマー・リアリスト・クリティスト

という考え方です。

ドリーマーは、夢を見る自分です。

「こんな旅館にしたい」
「地域をもっと元気にしたい」
「お客様にもっと喜んでいただきたい」
「スタッフが誇れる会社にしたい」
「亀山地域の未来に貢献したい」

そうやって、まだ形のない未来を思い描く力です。

しかし、夢を見るだけでは現実は変わりません。

そこで必要になるのがリアリストです。

誰がやるのか。
いつやるのか。
いくら必要なのか。
どの順番で進めるのか。
どうすれば現場で続けられるのか。

夢を実行できる形に落とし込む力です。

そして、さらに必要なのがクリティストです。

本当にお客様のためになるのか。
スタッフに無理をさせていないか。
利益は残るのか。
自分の思い込みではないか。
見落としているリスクはないか。

これは夢を否定するためではありません。
夢を現実で死なせないために必要な問いです。


ちょっと長いので続く



最近、こんなことを考えました。

「情熱って、どうやったらなくならないんだろう?」

多くの人はこう言います。

もっと頑張ろう。
もっと気合いを入れよう。
もっと自分を奮い立たせよう。

でも本当にそうなのか。

僕は、少し違う答えにたどり着きました。

情熱は、出すものではない。
もともと自分の中にあるものなんじゃないか、と。


情熱がなくなるのではない

情熱がなくなったと感じることがあります。

やる気が出ない。
ワクワクしない。
前みたいに燃えない。

でも本当に「なくなった」のでしょうか。

もしかしたら、

情熱がなくなったのではなくて、
情熱と“つながっていない”だけかもしれません。

スマホとWi-Fiみたいなものです。

電波は飛んでいる。
でも接続が切れていると、何もできない。

情熱も同じ。

自分の中にはある。
でも、つながれていないと感じられない。

証明と創造

ここで大事な話があります。

人はよく「証明」しようとします。

・自分はできると証明したい
・成功して見返したい
・結果で示したい

これは悪いことではありません。
実際、僕もずっとそうやってきました。

でも証明は、
「まだ足りない」というところから始まります。

だから、どこかに緊張があります。
どこかに敵がいます。

一方で、「創造」は違います。

創造は、

・まだないものを作る
・もっと面白くしてみる
・やってみたいからやる

ここには敵がいません。

あるのは、未来とワクワクだけです。

証明の時間と創造の時間

証明は、

「いつ達成するか」

が大事になります。

締切。
目標。
数字。

だから時間がギュッと縮みます。

一方で創造は、

「どんな未来を増やすか」

が大事になります。

だから時間が広がります。

やっていると、

「あれ、もうこんな時間?」

となるのが創造です。



じゃあ、どっちが正しいのか?


どちらも必要です。

創造だけでは、現実になりません。
証明だけでは、疲れてしまいます。

だから大事なのは、

創造を主役にして、
証明をサポートにすること。

未来を作るために動く。
その結果として、証明される。

この順番が大事だと、僕は思っています。

情熱は足さなくていい

情熱が足りないとき、

新しい刺激を探したくなります。

でも本当は、

足りないのではなく、
つながっていないだけかもしれない。

自分は何が好きなのか。
何を面白いと思うのか。
どんな未来を作りたいのか。

そこに戻ると、
情熱は自然と流れ始めます。

情熱は、出すものじゃない。
守るもの。

なくなるものじゃない。
つなぐもの。

今日も、未来を証明するために生きるのではなく、
未来を創造するために動いていきます。



久留里線が、卒業する。だから僕は、終点で待つ。

久留里線(上総亀山駅ー久留里駅間)の廃線が決まった。
ニュースを見た瞬間、胸がぎゅっとなった。

理由や数字の話も、もちろん分かる。
時代が変わった。車社会が進んだ。利用者が減った。
「合理性」という言葉で片付ければ、たぶんそれで終わる。

でも、終点のそばで宿を営む人間として。
そして奥房総で観光という仕事をしている当事者として。
この区間が持っていたものを、ただ“惜しい”で終わらせたくないと思った。

僕は、あきらめない。だけど、戦い方を変える。

正直に言います。
僕は線路を魔法みたいに復活させる力は持っていない。
政策を動かす大きな権限もない。
だけど、僕にはできることがある。

「人が来る理由」をつくること。
「ここに来て良かった」という体験を増やすこと。
「最後の一年を、記憶に残る一年に変えること」。


廃線は悲しい。
でも僕は、ここにひとつ言葉を置きたい。

廃線ではなく、卒業だ。

終わりが決まってしまったなら、
その最後の時間を、最高の形で送り出したい。
「さよなら」ではなく「ありがとう」で締めたい。

あと一年。幻になる前に、見てほしい景色がある。

上総亀山から久留里へ。
この区間は、派手ではない。
都会の観光地みたいに、キラキラした看板が並んでいるわけでもない。

だけど、だからこそいい。

窓の外に流れる、奥房総の緑。
線路の先にある、静かな終点。
人が少ないからこそ聞こえる、風の音。
そして、誰かの人生の一部として確かに走ってきた時間。

こういうものは、一度失うと戻らない。
「いつか行こう」は、だいたい来ない。
そして気づいた時には、“幻”になっている。

だから今、声を大にして言いたい。

この一年で、乗ってほしい。来てほしい。感じてほしい。

亀山温泉ホテル代表として、責任を持って動くと決めた

僕は創業75年の老舗旅館の三代目だ。
上総亀山駅のすぐそばで、温泉宿を続けてきた。

この地域で観光をやっている以上、
地域の変化を「外側」から眺めて評論するだけでは、責任が足りない。

だから決めた。

この一年、久留里線(上総亀山〜久留里)の付加価値を上げる。
多くの人に知ってもらい、来てもらい、最後の盛り上げをつくる。

僕一人の力は小さい。
でも、小さい力でも本気で束ねれば、波になる。

一緒に、最後の一年をつくりたい

ここからは、お願いだ。

この区間に思い出がある人。
学生時代に乗った人。
鉄道が好きな人。
旅が好きな人。
奥房総を応援したい人。
何か一緒に仕掛けたい人。

あなたのアイデアを貸してほしい。

「こんな企画あったら行きたい」
「こんな撮り方がある」
「こんな散策ルートがいい」
「地元の宝物、ここも見てほしい」
なんでもいい。あなたの視点がほしい。

僕は、終点のそばで宿をやっている。
だからこそ、来てくれた人に“最後の一夜”をちゃんと預かれる。

最後に。終点のそばで、待っています。

久留里線が卒業する。
その事実は変えられないかもしれない。
でも、最後の一年をどう過ごすかは、僕たちが決められる。

「惜しかったね」で終わらせない。
「行ってよかった」で締める。

そのために、僕は動く。
この一年の動きは、全部発信します。

よかったら、力を貸してください。
そして、乗りに来てください。

終点のそばで、待っています。
亀山温泉ホテル代表 鴇田英将


追記:久留里線乗車時刻に、日帰りリトリートの時間を合わせました。


礼から始まる経営──亀山温泉ホテルの五徳循環

経営をしていると、
「人が育たない」「組織が噛み合わない」「想いが伝わらない」
そんな壁に、何度もぶつかります。

数字や戦略の前に、
もっと根本的な“ズレ”があるのではないか。
そう考えるようになりました。

私が辿り着いた答えは、
すべては「礼」から始まる、ということです。

礼とは、形ではなく「想いを分かち合うこと」

礼というと、
挨拶やマナー、所作を思い浮かべるかもしれません。

しかし本質はそこではありません。

■何のためにやるのか
■どこを目指しているのか
■互いに何を大切にしているのか

想いを言葉にし、分かち合うこと。
これこそが、経営における礼だと私は考えています。

礼が生む「信」、信が呼ぶ「機会」

想いが共有されると、
人は安心し、信頼が生まれます。

信頼は、お願いしなくても
自然とチャンスを連れてきます。

紹介、協力、応援、挑戦の機会。
それらは偶然ではなく、
信が積み上がった結果です。

義──役割とミッションを引き受ける覚悟

チャンスを受け取るということは、
同時に責任を引き受けるということ。

誰のためにやるのか
何を優先し、何を断るのか

筋を通す覚悟。
これが「義」です。

智──経験は、理念へと昇華される

役割を果たし、責任を背負う中で、
人は学びます。

なぜうまくいったのか
なぜ失敗したのか

経験が整理され、
やがて人生や経営の理念へと昇華されていく。
これが「智」です。

仁──自他を慈しみ、守る経営へ

理念を持った先にあるのは、
支配でも、正しさの押し付けでもありません。

人を壊さない
未来を削らない
弱さも含めて守る

強さとしての優しさ。
それが「仁」です。

そして、再び「礼」へ──螺旋は上へ伸びていく

仁にたどり着いたとき、
人はもう一度、礼に立ち返ります。

ただし最初とは違う。

今度の礼は、
表面的な共有ではなく、
価値観そのものを分かち合う礼。

こうして
礼 → 信 → 義 → 智 → 仁 → 礼
という循環は、
同じ場所を回るのではなく、
器を広げながら上昇していく螺旋になります。

経営者は、先頭ではなく「中心」に立つ

リーダーは、
誰かを見下ろす存在でも、
一人で突き進む存在でもありません。

想いの中心に立ち、
みんなの代表として決断する存在。


だから私は、
仲間の前に立つとき、
「自分が一番偉い」とは考えません。

「みんなの想いを預かっている」
そう思って立っています。

亀山温泉ホテルは、
この五徳の循環を、
経営・サービス・組織づくりの土台にしています。

古くて、不器用で、遠回りかもしれない。
それでも、
人が人として誇りを持って働ける場所をつくりたい。

礼から始まる経営は、
今日も静かに、確かに回り続けています。