子育て日誌

妊娠が発覚したのはちょうど世間がコロナで騒ぎ出した3月の中旬過ぎでした。
もう間もなく亀山温泉ホテルは初の2か月に及ぶ休業を決断することになるわけですが、そんな折に女将から「大事な話がある!」と。。。


おもむろに出した目の前には妊娠の反応陽性反応の検査薬がありました。
次男の出産から7年。。。待望の3人目の赤ちゃんは突然のコロナ禍においてやってきたのでした。

夫婦で旅館経営している中で、ぶつかることも多く、決して順風満帆ではなかった、ちょうどかなり険悪な状態だった中の
まさかの朗報中の朗報、色んなことが頭から吹っ飛び喜び合ったのがもう8カ月以上前になるんだなぁ。

長男9歳、次男7歳、三人目がかなり間隔があいてしまいましたが、本当に待望の赤ちゃんでした。
もう僕の頭の中には 女の子だと確信、浮かれまくりました。

しかし女将レイコさんのつわりは想像以上につらく彼女を苦しめました。
今までとは違って二人の小学生を育てながらのつわりで、本当に苦しかったと思います。

タイミングがいいのか悪いのか、ちょうど旅館は2か月の休業に踏み切り、女将としての仕事はひとやすみ。
体調最優先で自宅静養をしました。

ちょうど二人のお兄ちゃんの学校も急行で自宅待機となりました。



4月の早い段階でスタッフには事情を説明しました。
長く働くスタッフからは目に涙を浮かべて『よかったねよかったね』と女将に温かく声をかけてくれました。

今までと違って旅館の女将という重圧の中での妊娠による体調悪化、この半年間でたくさんのストレスがかかったことでしょう。
その中でも無理をしない範囲で、いやときには無理をしながらシフトをコントロールしながら、雑務を率先してこなしながら、いつも事務所でいろんな手配をこなしていました。時につわりを感じながらも、みんなには心配させないように、

改めて旅館の女将の仕事のプレッシャーと責任の多さを目の当たりにすることになりました。

休業が明けいよいよ本格的に旅館営業開始のなかでも体調最優先でやすみながら、
それをスタッフみんながフォローして頑張ってくれました。本当に素晴らしいスタッフたちに感謝の気持ちでいっぱいです。

女将はお客様の前に出ることを出来るだけ控え、コロナ感染リスクを極力避けるように過ごしました。

定期健診ではどんどん大きくなるお腹の子、そしておかみのお腹はもう誰が見ても一発で妊婦とわかるほどに大きくなっていきました。



無理は承知で、でもどうしても叶えたかった夢の社員旅行も10月、ぎりぎり臨月をを迎える前に最後の旅行を、2人の出会った以前の職場であり旅館、伊香保温泉福一にお邪魔をしました。子宝の神様である伊香保神社でも一生懸命お願いをしました。



いよいよ11月を迎えました。
予定日は11月29日(イイニク)、まだまだ生まれる気配はない中でも、お腹はありえないほど大きくふくれていました。
見て下さいこの大きさを。。。



僕は11月に入り、酒を断ちいつでも生まれて病院に連れて行けるように準備をした。
11月15日予定日和2週間前より、生まれるまでのファスティングを決意し、食事も断ちました。
期間を設けない初めてのチャレンジであるファスティング、何もできない自分が少しでも一緒に出産に臨む、そんな心持でした。

5日、7日、9日と日にちは経過し、まだかまだかの落ち着かない日々
11月は亀山湖も紅葉シーズン、Gotoトラベルキャンペーンも重なってホテルは大忙しの中、いつでも病院に行けるように待機をしていることで、多くのスタッフにも協力をしてもらいました。

そして11月24日午後6時過ぎ、ロビーで打ち合わせをしている僕の携帯に、女将の玲子さんから着信
「いよいよ陣痛が間隔が迫ったきたから病院に行く」



今は便利な時代、お互いのスマートフォンに陣痛タイマーというアプリを入れておくとその陣痛間隔が共有される。これでいつでもある程度の間隔を把握できる。2,3日は寝る時も気が気じゃなかった。

上の二人は里帰り出産で群馬のお義父さんお義母さんにお世話になっていたから、3人目にして初めての病院までの送迎、そしてそのまま付き添う立会い出産の予定でした。初めての出産のときは丸1日より沿っていたからその時にイメージがあったけど、今回は痛みこそ、きつそうだけど、全体的に非常に落ち着いて出産に向かっているように思えた。


君津にある産婦人科病院 ファミール産院きみつ に到着したら

子宮口はまだ完全に開ききっておらずそのまま個室で様子見。病院到着が19時半過ぎ、そこからいつ来るかいつ来るかと病室でその時を待っている。腰をさすりながら眠い目をこすりながら、そうして夜は明けていきました。

ある程度考えていた赤ちゃんの名前の最終確認

そして絶対女の子だと(性別を聞かずに出産に挑みました。上の2人も同じく性別を聞かずに望み、そして僕の想像予想通り男の子二人の出産だったからこそ、絶対女の子だって直感が伝えていました)女の子の名前をひたすら考えて考えて、そしていつの間にかソファーでぼくも眠りについてしまいました。

翌日11月25日を迎えました。病院では食事を出してくれます。玲子さんはバッチリ全部ご飯を食べ、出産に向けて体力を養います。



病院到着から12時間経過・・・。
次男翔之丞を出産したら7年前は、病院到着からなんと4時間で出産、実は今回は3人目だしもっと早いのではないかと思っていたから、この長時間に及ぶ出産は正直お互いにも予想だにしていなかった。それは分娩室に入った午前8時からも同じであった。

先に分娩室に入って、タイミングが来たらお呼びがかかるということでひとりで病室で待つこと4時間。。。
ついに個室の扉が開いて看護師さんが声を変えてくれました。「おっいよいよですね、よっしゃー」

「いや、まだ変わりません。個室でお待ちいただいてもいいですが、分娩室にも入れますよ、奥様はきっと一緒にて欲しいと思いますよ」
↑そんなこと言われたらいきませんって言えないんですけど(笑)

ってことで立ち会うことになる分娩室に完全防備で入室(ビデオカメラバッチリセット)



玲子さんここ分娩室でファミール産院2食目のお食事
病院到着から18時間、分娩室入室から4時間、今だ本陣痛は来ないまま時間だけが経過していきます。

腰をさすりながら、モニターで胎児の心音を聞きながら、陣痛の間隔を確認しながら、時間がだんだん経っていきます。。。

午後2時、先生が触診しながら結果 『促進剤を入れましょう』と判断。

午後2時から妊娠促進剤で、胎児にもそのサインを送りながら、徐々に強まっていく陣痛、短くなっていく間隔、表情から余裕が無くなり、呼吸が荒くなっていく母体、いよいよの雰囲気が分娩室内に漂っていきます。

「まだ息んじゃだめですよ、もう少し我慢して」

「来たかもしれません、痛い!!!」


遂にその時が来る


高まりゆく鼓動、一気にせわしなく準備に取り掛かる助産師さん看護師さん、てきぱきと準備が整っていく。
その中で苦痛の表情を浮かべながら、吐く息呼吸は荒く、時に叫びながらも、大きく深呼吸をしようと必死で耐える女将
そんな手を握りしめながら、頑張れと叫ぶことしかできない。

今までスローに流れていた時計の針は2倍にも3倍にも10倍にもぐるぐる秒針が回るごとく時が進みだした。
はい吸って、止めて、息んでーーーーーー
声を出しちゃダメ、止めて、その力を一気に子宮に込めて
せえーの、はい

助産師さんの大きく的確な指示が飛ぶ
僕も同じように大きな呼吸でおかみの頭を支えながら一緒に息んで力いっぱい手を握りパワーを送る。
そんなやり取りを10回、20回繰り返す

10年前に初めての出産で立ち会った時の記憶が甦る。あの時はどうなるものか全くわからず叫びまくっていた僕も
2回目の立会だからこそ、その一瞬一瞬を脳裏に焼き付ける。
本当は上のふたりの子供にも立ち会わせて、母親の強さと頑張りを目の前で伝えてあげたかった。

コロナによってそれは叶わなかった。幸運なことに僕が立ち会えたことで全部伝えてあげるんだ。

20分、30分とたち、そしてそのときがあああああきぃぃたぁぁぁーーーーーーー

「はいもう大丈夫、深く呼吸して、あ」

えっつどうしたの?

「でかかったのに戻っちゃった。恥ずかしがり屋さんなんだね。はい―もう一回深呼吸して」







『オギャー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

もうその瞬間嗚咽の様な涙
涙が止まらない中で目にしたのは男の子の証拠

女将も声にならない鳴き声で、子供をカンガルーケアー
「うぁわ――――涙良く頑張ったね、逢いたかったよー・あぁーん」

全身脱力してぐったりしてそのままずっと赤ちゃんを見つめている優しい瞳、本当によく頑張った、頑張った、頑張った

『腰が砕け散ったかと思った・・・』


そう思った想いは次の瞬間驚嘆に変わる

「この子相当大きいよ、えーどれくらいあるんだろう、早く計りたい」
あまりの大きさにざわざわする助産師さん、そして体重計に載せてビックリの

3944g


えーーーーーーーーーーーーーーーーーでっか!!
生まれてしわくしゃのイメージの赤ちゃんをくつがえし、非常に綺麗なお肌でハリがあるこの子


この世に生を受けたのは2020年11月25日16:22 生まれてきてくれてありがとう

初めての家族3人の写真

両両親に誕生を伝え、歓喜に浸る。
コロナ禍で色んなストレスがかかる中で、たくさんの方に支えてもらい、社員スタッフに助けられ、両親に助けてもらい、そして2人のお兄ちゃんも淋しい中でたくさんのたくましさと優しさを見せてくれ、たくさんの愛の中で生まれてきてくれた第三子 三男

女の子じゃなかったけど、そんなことどうでもよくなるくらい生まれた時の感動は筆舌尽くしがたく、全てに感謝。
命が生まれるという奇跡を目の当たりにして、母親のお仲の中で約4kgまで育ち、10月10日第39週で生まれてきました。

あたりまえなんかじゃないいくつもの奇跡をかいくぐりながら紡いできた命の糸がこうしてこの世界に繋いでくれた命のリレー。
五体満足、健康であることがどれだけキセキなことか。僕はこの命の誕生から改めていろんなことを学びそして成長させてくれる気がする。

あれから10日、本日君津市役所に出生届けを出してきました。父親としての責務を果たす。
この子に授けた名前は


雄大【YUUDAI】

名前は親が子供に授ける一生において初めてのプレゼントにして最大のプレゼント
この子が生涯を置いて一番耳にして、一番目にして、一番親しむことになるコトバとモジ
それが名前、その責任が名づけ

この子の名前は僕と女将とめずらしく意見が一致してこれしかないって名前になった。
この名前に込めた僕たちの想いは

<em>大いなる創造性と大胆な行動で、スケール(器)の大きなグレートリーダーになる</em>

3944gで生まれきたまさにスケールの大きかったこの子は 鴇田家三男 鴇田雄大と申します。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。


鴇田家4兄弟(笑)最高に幸せ?