雑感

2017年10月25日午後2時
祖母鴇田敏子が92年の天寿を全うし永眠を致しました。

何歳になっても僕を見る度に
『お兄ちゃん大きくなって』といっていた祖母

施設に入ってからは涙を流して『お兄ちゃん大きくなって』といっていた祖母。。。



約12年前より施設に入り過ごしてきた祖母は、亀山温泉ホテルの初代女将でした。
尊敬する祖父故鴇田五兵衛にとつぎ、ただひたすら一心にこの亀山温泉ホテルを、いや
その前身亀山鉱泉から切り盛りしてきました。

昭和30年に嫁いできて以来、現社長女将(父母)に代交代するまで30年間一心不乱に。

洪水による大災害や、亀山鉱泉から亀山温泉ホテルへの立て替え
ダム建設に伴う社長鴇田五兵衛の対外活動、多くの苦労を乗り越えての女将業

そして女将引退からも体調を崩し、悠々自適とはいえなかった隠居生活
そして施設での12年間の暮らし。。。

喪主である父の弔辞を聞きながら、亡き祖母の存在がどんどん心の中で大きくなり
目頭が熱くなりました。

そっかー、おばあちゃんが支えてきた亀山温泉ホテルを僕は引き継ぐんだって。。。


僕の中では今の父母が働いている姿が亀山温泉ホテルの姿であり、祖母祖父母の時代は子供の頃の記憶のない頃で、おじいちゃんおばあちゃんはいつも働く父母の代わりにいつも面倒を見てくれていた記憶が強いからです。

そしてあまりにも祖父の鴇田五兵衛の存在の大きさが自分の中にあったからです。

だから父がたまに酔っ払って話す当時の話の中でしか祖母=女将 になることなかった僕の脳裏に
強烈にその存在感が大きくなったお通夜と告別式でした。

今から12年前その大尊敬する祖父五兵衛が亡くなったとき、近くにいながら会うチャンスを逃した自分、会えるときに会えなかった事に凄く後悔していた自分がいたからこそ、今回は祖母が具合悪くなってしまったときにきちんと会えて声をかけることが出来て本当に良かったと思っています。

女将業についていたときは、本当に厳しくそして豪快だった祖母
仕事が終わったあとには、みんなで日が変わるまで大好きだったビールでお疲れ会をしていたと父が話していました。

孫6人、ひ孫4人に囲まれて、大好きだったピンクの花に囲まれておばあちゃんは天国に旅立ちました。

改めて亀山温泉ホテルを引き継ぐという思いを、父母からではなく、祖父母からもその思いを引き継いでいるのだと身の引き締まる思いと共に、このホテルがあるのはそのたくさんの思いの上に建物だけじゃなく、精神が引き継がれ立っているのだと痛感する日となりました。

おばあちゃん、安らかに安心しておやすみください。

そしてもう一度出棺の時に贈った言葉をココに今一度書き示します。

『安心して任せて下さい、おばあちゃん』