千葉房総の亀山温泉ホテル 公式HP | 源泉掛け流しの湖畔の湯宿

若旦那の夢【参代目の挑戦】

太陽のように熱い情熱をもって 夢と志で旅館と地元の未来を変える!!

☆30年の時を経てご利用いただける感動

ゴールデンウィークにもかかわらずファスティング(酵素ドリンクだけを飲む断食)を行っている
亀山温泉ホテル情熱の参代目若旦那です。

なぜこんな忙しいときにやるんだい!?
多くの人はそう思う疑問にはこう答える

「だってこんな時期しかできないからさ(●^o^●)」

さて本題

30年の時を経てご利用いただける感動とは?


昨日お泊りになられたお客様
お父さんお母さんとかわいい三人のお子様たち


柏からお越しのS様


ご到着時に奥様が
「懐かしい、変わってない」と一言

お話を伺ってみると
幼少時代にずっと家族で亀山温泉ホテルに泊まっていて、ずっと来たいって思ってくださっていたとのこと。

もう嬉しいです。
だってこれって僕の思うお
お客様の思い出に残り続ける宿 であって
そして 家族の絆がつながる宿

になれた瞬間なんですもん!!

子供たちを連れてきてくださったことで、お母さんの思い出がお子様との思い出の場所になり
同時に3世代に思いが想い出がつながった瞬間ですよね。

旅館はその場所でずっと営業を続けることにやっぱり意味があると思っています。
それがこのS様のように、長い年月を経てもお帰り頂ける場所であること

そしてその一瞬で 当時の思い出がよみがえるということ

大切なこと


変わり続けることと同じだけ、変わらないでいること


この想いってきっと 僕たち経営陣にも言えることですよね。

創業者である祖父の想いがあって、現社長の父がその思いを紡ぎ
そして僕が橋渡しになって、4代目チビ旦那に繋がっていく。


そんな亀山温泉ホテルにお泊りにいらっしゃいませんか?


想いの源泉となるもの-GENTEN3-


気付けば5年が経過していた。
自分がこの亀山温泉ホテルに戻ってきたときに想像していた
5年後とはかけ離れていた。
最初の自信も相当無くしていたのも事実、
嫌だなぁって思うことはたくさんあった。

それでも一つの事実は、減少傾向にある旅館業界、
多くの有名旅館が潰れ、事業再生に追われ、
外的要因も重なり、淘汰されている。


その中で亀山温泉ホテルは 潰れることなく、営業を続けている。
昭和25年祖父五兵衛が宿屋のオヤジになった亀山鉱泉から、亀山ダム建設に伴い、場所を移転して亀山温泉ホテルとして法人登記した昭和50年、父である現社長につながり、今がある。




父と母はもちろん尊敬しているし、二人がいたからこの亀山温泉ホテルは存続している
そしてこれから先も二人の力なしでは、まだまだ勉強不足、甘えがある自分には何もできない。

でも
絶対このままじゃいけない
絶っ対にこのままじゃいけないんだ


このままじゃ、何のための自分の存在かわからない
思ってみても自分の出来ることって限られている
お金だって借りられない

立場だって社長女将より弱い
でも俺がやんなきゃいけないんだ
それだけの可能性があるのだから、引き出して形にして、お客様に認めて頂く!!
ちょっと思ったより全然長い時間がかかりそうだけど、絶対になんとかする。


口先だけだったその思いが、一つのきっかけによって形になった。
それが2013年10月から半年にわたり参加した次世代旅館経営者育成セミナー だった。


観光庁とリクルートが手を組み、次世代につながる地域イノベーターを育てようと企画されたもので、全国から16人の仲間が共に切磋琢磨して、自分を見つめなおし、旅館を見つめなおし、地域を考え、これからの未来を見据え、描き、行動に移していった。

僕は自分がどんな人間でありたいのか、どう生きていきたいのか、自分はどんな存在なのか



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想いの源泉となるもの-GENTEN2-

こちらの記事はつづきになります。
前回の記事 GENTEN はこちらをご覧ください

2002年から5年間旅館修行を積み
2007年から1年間海外オーストラリアワーキングホリデーを経て
2008年いよいよ家業である亀山温泉ホテルを継ぐべく、実家へと戻ってきました。

奇しくもそれは、高校卒業で東京1人暮らしのために実家を離れてからちょうど10年の月日が流れていました。

あの時母にあてた手紙
「でっかい男になって帰ってくる」
その言葉に完全なる自信こそなかったものの、最愛のパートナーを向かい入れ、気合は十分だった。


亀山温泉ホテルの名前を全国に轟かせる
元気のない千葉県を盛り上げてやる!!

何も知らない29歳の男はそう高い鼻を伸ばしていた。


すぐに自信は、想いは、空中に空しく散っていくことになった・・・。

実家に戻ってすぐのことだった。
お客様のチェックインをして、お部屋にご案内をした瞬間お客様がお怒りになった。
「こんな部屋には泊まっていられない」すぐに帰ると。

まったく事情を呑み込めず、お怒りになるお客様にただ呆然としながら
申し訳ありませんと謝罪をしながら、交通費にしてくださいとお金をお渡しした。

今思えば本当にお粗末な対応で恥ずかしさいっぱいですが
当時は本当に困惑をして頭が真っ白になった。

父と母にも当然大目玉をくらった。

修行をしていた伊香保温泉福一でそんな経験など何一つしていなかったからだった。
今まで味わったことのない悔しさが僕へ次から次へと襲っていった。

やることはたくさんあった、亀山温泉ホテルにたくさんの変化をつけていった。
そしてそれは少しずつだが売り上げという形で跳ね返ってきた。

お客様からも「若旦那帰ってきてから少しずつ良くなっているね」とお声をかけてもらえることも多くなった。僕の目から見て伸びシロがたくさんあったのだ。


しかし、しかしその言葉に安堵を感じる余裕すらないほどいろいろな状況が自分を襲った。というよりそれはすべて自分が招いたことだった。

修行先の福一でご贔屓にしてくださっていたお客様が亀山温泉ホテルに遊びに来て下さった。
そしてその期待を大きく裏切ってしまった。若女将もよくかわいがってくれたお客様は
「こんな旅館じゃ若女将も嫁いできて可哀そうよ、あんたしっかりしなさい!!もう私たちはここに泊まりに来ることはないからね!」

大切なお客様を失ってしまった瞬間だった。

当時から予約サイトには口コミが主流となっていた。その口コミにおいて亀山温泉ホテルの評価は千葉県下でかなり下の方に位置をしていた。見たくない口コミばかりが並び、県下平均4.0と言われている口コミ評価が一時期2.9という低さまで落ちたこともあった。

すべて自分が自分がと行動していたことで、独りよがりになり、だれにも相談できずに、もがき苦しみ、同じことを繰り返していった。報連相をすることなく、自分の思い通りに動き息詰まる。
誰かのせいにすることはなく、全て自分の責任だと思いながらも、環境が悪い、施設が悪い、両親が悪い、スタッフが悪い。。。そうやって思い込もうとする黒い自分にもうすうす感じていた。

全てが独りよがりだった。
このころ一番響いた言葉は
「若旦那はひとりで空回っている」だった・・・。

それは紛れもない真実でしかなかった。



施設の老朽化がひどい
手入れがなっていない
掃除が出来ていない
接客がなっていない
料理が冷めている

挙げればきりがない程の現実

私はまさか自分が一生働いていく旅館がこんな評価であるという事実に
目を覆い、耳をふさぎ、もういいやって思った事が沢山ある

もっとすっごいいい旅館に戻ってきたかった

そんな最低な思いを抱く事もある。


自分が意気込んで亀山温泉ホテルを立派にすると言っていた現実は
自分が想像している以上に、ギャップがあった。


全旅連という組織に所属し、出向という形でたくさんの仲間の旅館に泊まることになった。
成功されている旅館、全国的に名の通った旅館、そして評価の高い旅館

泊まれば泊まるほど、そして先輩の話を聞けば聞くほど
僕は悔しくなって、自旅館を恥ずかしく感じていった。。。

この思いは今も続き、なおも消えることがないように思える。

要はだれかと比べる事での評価に自分自身が囚われすぎているのだと思う。


極めつけは 天下の掲示板 2chへの誹謗中傷だった。
実名を出され、温泉のことや施設のこと、そして自分自身のことが叩かれに叩かれていた。

心の弱い僕は、見なければいいのに、毎日その掲示板を見てしまった・・・。



やりたいことと出来る事は違う。
それを嫌というほど味わった。

沢山出てくるアイディアのほとんどが、通用せず、実行できずに終わっていく。

福一とのギャップ、やりたいことがやれない事実、立場も力も決定権もない自分の不甲斐なさ

亀山温泉ホテルの欠点ばかり目がいき、福一と比べ、これでは駄目だと嘆く!

違って当たり前なのに

これを変えないと それにはお金がかかる そのおかねはどうする 借りる 借りられない
じゃあどうする 

こんな繰り返し

やりたいこととやれることは違う
それを嫌という程味わった。

(その悔しさがばねになっていったのは後々に分かってくることであるが)


それでも僕がつぶれない理由、そしてなお未来を見据える理由
情熱という言葉を自分に課している理由

亀山温泉ホテルが大好きで応援してくれるたくさんの常連様の存在
「若旦那期待しているよ」「またよくなっているね」「もっと頑張ってね」その温かいエール。
時には厳しい叱咤激励でおしりをたたいてくださるお客様もいらっしゃいます。

地域環境と温泉の素晴らしさ
亀山温泉ホテルが位置する目の前が湖という立地環境と、多くのお客様に愛される自慢の天然温泉


このふたつの強みこそ、亀山温泉ホテルが何より繁盛していける最大の理由であり、お金で解決が出来ない、先祖に感謝すべきギフト、そして守り続けなければいけないギフトなんです。

「こんなにいいところなのにもったいないよ」
お客様のこんな言葉に集約されている、亀山温泉ホテルの可能性を僕も信じているからだ。

何より地元が大好きで、その大好きな地元のみんなが「亀山温泉ホテルは亀山観光の中心なんだから、しっかりしてもらわないと困る。応援しているから!!」というエール。

そう地元の為にも、亀山温泉ホテルはしっかりしていかなければならないんだ。


そう思えるころに ちょうど戻ってきて5年が経過していた。
四苦八苦して、悔しさの中で過ごしてきた5年間だったように思える。


そして若旦那自身が次のステージに進むときが、沢山の出会いの中で生まれていった・・・。


次回に続く・・・


想いの源泉となるもの-GENTEN-

皆さん、初めまして。
亀山温泉ホテル 参代目 若旦那の 鴇田英将と申します。


昭和54年12月19日生まれ いて座 B型
九星気学では 三碧木星 
ISD個性心理学では 感情的なライオン

子煩悩で楽天家、明朗活発で情熱的、すぐ大きなこと、夢、思いを語る
非常にだらしなく、集中力が続かず飽きやすい。
口だけは達者だが、行動が伴わず、段取り下手のためすぐに息づまるが
人に頼ることが出来ず何でも自分でやろうとして失敗する。
が持ち前の明るさと未来志向で、より成長しようと前と上を向いている。

好きな言葉
・人生楽笑
・おもしろきこともなきをおもしろく
・今日もちうるところの材木はすなわち先人たちの植える処
 然らば汝後人の為にこれを植えざるを得ん


2008年8月、私はまさに満を持して旅館経営に勤しむべく亀山温泉ホテルへと戻ってきました。当時から今まですでに時は7年が経過しようとしております。
振り返るにはまだまだ短い年月かもしれませんが、私にとってこの7年は本当にかけがえのない時間であったと思っております。

決して楽な道ではなかった、でも全ては自分に必要なことしか起きていない。そう思っております。
今の自分の心渦巻く複雑な思い、正直な思いを今日はこの新しい若旦那ブログ【若旦那の夢】で述べたいと思います。

初めてこのブログを読まれる方、私はこういう想いを持って現在志事に取り組んでおります、私はこういう人間ですよと知ってもらいたいですし、

以前から私を御存知の皆様も、これが若旦那鴇田英将の原点たる思いなのだと再確認して頂ければと思っております。

また現実リアルに交流をさせて頂いております皆様もこの私の想いを知ってもらいたい。



ここ地元亀山にある一番大きな旅館の跡取り息子として私は生を受けました。昭和54年12月のことでした。実家である東京に里帰りし、その2か月後に私を連れて戻ってきた母は、表玄関から入れることにほっとしたようです。(田舎である亀山は当時より長男を産むということが無言のプレッシャーのようにあったらしく、もし女の子の場合は裏口から入ってきなさいと言われていたようです)


待望の長男として、それはそれは大騒ぎのお祝だったようです。田舎の跡取りとしての宿命なのかもしれませんね。周りはそのような目で見て私を育ててくれたのでしょうから。
ただ父親からも母親からも一言だって『旅館を継いでほしい』と言われたことはありませんでした。

父と母の忙しい毎日をずぅっとずぅっと見てきました。家にいないのが当たり前で、ご飯は夜遅くなるのが当たり前、小さな妹や弟は事務所のソファーで眠っている。学校から帰ってくれば誰もいない家にランドセルを置いて事務所で遊ぶ、、、そんな毎日でした。



忙しい合間を縫って、旅行もたくさん連れて行ってもらいました。


しかし旅館の子供に生まれてきて嫌だって思った記憶は一度たりともありません。

こういうものだ、これが当たり前だという中で生活をしてきました。
他の家庭と比べていなかったかもしれません。でも一番は両親が私たち家族をたくさん愛してくれていたからなのは間違いありません。

今こうして亀山温泉ホテルを継承すべくこの場にいることは、全て自分の意志によって決めたもの。自分の中ではそう思っておりました。少なくても戻ってくるその時までは。
私が明確に将来のことを両親に伝えたのは、大学の志望校を決める時でした。

『将来は経営者になるのだから、経営学科に進もう』

それを両親に伝え、いずれこの亀山温泉ホテルを継ぐという意思表示をしたのでした。

17歳の冬です



その時は具体的に何歳くらいで戻ってきて、どういう人生を歩むのかなんてちゃんと考えていなかった。

ただ漠然と、本当に漠然と、いつか亀山に戻ってきてここで働くのだとなんとなく考えている程度でした。
郷土愛とか、地元貢献とか、俺が盛り上げてやるとか
そんな思いはきっと皆無だったでしょう。(少なくても口には出していませんでした。)
父に『俺は継げということはいった事はないが、おまえがこの旅館を継ぐつもりで育ててきたのだ』と言われた時、両親の大きな愛情と期待に包まれていたことを改めて知り、自分は敷かれたレールの上を走っているのだと思ったものです。自分の意思はすでにレールが示してあったのだと。不思議と嫌じゃなかったんですよね。

期待通りに、いや期待以上になってやるのだと嬉しかったのが本音です。


『でっかい男になって帰ってくる』 僕はひとり暮らしを始める時に母にそうあてた手紙を残して花の大都会東京で一人暮らしを謳歌しました。

21歳になる大学3年生、将来的なことを踏まえ私は父と母が働いていた東京プリンスホテルでルームサービスのアルバイトを2年間続けました。

特に意識も高いわけでもない自分だった気がしています。
ただ接客業、しかもサービスレベルの高いホテルで働けたことは、大変いい勉強になりました。

就職活動も、もう旅館ホテル一本で受け続けました。他業種に進むことや、旅行会社に進む道なども当然沢山の選択肢はありました。しかしもう心はそこに据えておりました。

いくつか受けている中に、私が5年3カ月働く事になる伊香保温泉福一がありました。

会社説明会の時、上座に座っている福田社長に声をかけられました。
『鴇田君のお父さんは千葉県で旅館か何かをしてるのかい?』

驚きました。とっさに僕は『いや、していません』と嘘をついてしまいました。

自分の家が旅館であることが分かれば、採用に不利になってしまうのでは(いずれ辞めてしまうから)と考えたからに他ありません。

しかしここで自分にとっての父親の偉大さを痛感することになりました。
福田社長の2年先輩で、私の父は全旅連青年部(今私が所属している団体)で副部長をしていた為に『千葉 鴇田』という名前が珍しく、福田社長は気付いたのでした。

次の面接の際私は正直に福田社長に打ち明けました。

福田社長は快く『やっぱり鴇田さんの息子さんだったか!!英将、うちで修業していけ。最低3年はみっちり働けよ!!』と声をかけて頂き、その場で採用が決まったのでした。



ともに入社した同期にも福島の旅館の跡取りがおり、お互いの立場を認識し、共に頑張ろうと誓いをたてました。

彼は同期と役員が集まる場で声高らかに『福一で15年修業して実家に戻ります』と宣言をしたのを聞き

自分はいったい福一で何年働いた後に実家に戻るのか、この時点でも全く決めていない自分に戸惑いもありました。

同期にも先輩にも、上司にも、そしてお客様にも恵まれ、私は伊香保温泉福一で色々な勉強をさせてもらいました。

フロント業務からスタートし、仕入れ業務にも携わり、再度フロントに戻り、主任から、最終的にはフロントマネージャーのポディションまで任せてもらうことが出来ました。

実家を継ぐためいずれ辞めることが分かっている自分に「そんなことはわかっている、それでもトキタに任せたい」そう認めてくれた上司に心から感謝しました。

しかし若干25歳のリーダーは、様々な苦しみにもがき、無理をし続けました。人をまとめることの大変さを社会人として学んだ2年間でした。しかしそれもまたみんながいるから様々なプレッシャーの中で潰れずにすみました。

この時にいまの若女将とお付き合いをさせてもらったのもとっても大きなことでした。
何より最高のパートナーを見つけることが出来たことが、福一を退社し実家に戻ることへの大きな不安をなくしたのかもしれません。



福一での5年3ヶ月、悔し涙を流したことも、納得できないことにいら立ちを覚えたことも、大先輩に食って掛かったことも、大女将と喧嘩したこともありました。沢山のお客様に出会い、最高の仲間に支えられ、先輩にご教授ご指導いただき、後輩に恵まれ、ここが居場所そう思える5年間の修行でした。
これで実家に戻る。その前にやり残したことはないか自問自答して見つけた一つの夢
それが海外渡航でした。調べに調べてワーキングホリデー生活をオーストラリアで1年過ごすことに決めておりました。付き合ったばかりの若女将レイコもそれを承知してのお付き合い、2人は1年付き合い1年日本とオーストラリアで離ればなれになりました。
まさに人生の夏休みと言わんばかりのオーストラリア生活で人生修行を終え、いよいよ
そうまさにいよいよ亀山温泉ホテルに戻ってくることになりました。



5年3カ月での福一の修業、全国的に評価の高い大型旅館での経験と自分なりの感性センスで、亀山温泉ホテルを全国的に立派にして行くのだと

意気込んでました。


まさに順風満帆に人生を歩んできた私、最高のパートナーと結婚し共に旅館を盛り上げていこうと

盛り上げられるはずだと思っていました。

そう未来は果てしなく明るく、そして約束されているのだと。
その時の自分は何も知らなかったです。
続く



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