自己リトリート17「AIリトリートに行ってきました!」~その4最終章~
~旅の最後に見えた“ヒトらしさ“とは?~
1年足らずで5回訪問した高尾山、日中の賑わいとの対比で夜の静寂が何とも言えずリトリート中の内観を感じているようで、何とも情緒深い夜を過ごしました。
誰もいない高尾山(駅周辺)は、なんとも不思議な気分(千と千尋の神隠しで別世界に千尋が迷い込んだような感覚といいますか)
これはこれで、上手く言葉に出来ないけど、私なりに何かを感じたリトリートの夜でした。
五感を開くことが肝心とは、普段リトリートをガイドする人間として皆様にもお伝えしていますが、それ以外の未知に惹かれる感覚も開かれていたのかも知れません。
「センス・オブ・ワンダー」
自然体験の世界では当たり前に使われている言葉ですが、子供たちが未知のものを見つけた時に感じる、何かよく分からないけど興味を惹かれる、上手く言葉で言えないけど、その時のことを原体験としてずっと大人になっても覚えている。
そんな感覚とも言えます、多分、この高尾山の夜の散策のことを私は何年後も覚えているのではないかなぁ、と思います、そしてきっと、AIと何を話したかは忘れているのではないか、そんな事を思いました。
このセンス・オブ・ワンダーは、子供の自然体験や環境教育の場面で使われる事が多いですが、もしかしたら自然から離れた生活をしている今、大人こそ必要な感性なのかも知れません。
リトリートは、子供の時のような素直に未知に興味をもつ心を開かせてくれる気がします。
AIはその逆で、答えを必ず出してくれますから、未知を未知のままにしておいてくれません。AIリトリート中には「AIからもリトリートする」時間が必須だと思いました。
AIは「分かる」をくれますが「感じる」はくれません、ヒトとAIの決定的な違いも、ここではっきりと分かりました。リトリートとは“分からなさ”の余白を抱きしめること。いつしかAIとの対話は忘れても、自然との触れ合いや、異なる暮らしに触れた感触は、一生、体のどこかに残り続けます。
なぜなら、ヒトも自然の一部だからです。
結局23時に高尾ベースに戻り、23時半ごろに就寝しました。
【2日目】
朝は6時くらいでしょうか、1階のガヤガヤした声で目が覚めました。
1階を見ると、トレイル・ランニングの人達が着替えたり、膝にテーピングのような物を巻いて準備しているようでした、よく見ると1つの団体だけでなく、複数の団体が集まっているようです(画像は高尾ベースHPより引用)
まさに、ここ高尾ベースはトレイル・ランニングの拠点、今日は土曜日です、いろんなトレランの団体が集まり、朝のオリエンテーション(今日のコース説明)などをしています。
トレランではなく登山の準備をしているシニア夫婦もいます。
今回の私は登山を目的とはしていません、AIリトリート後は千葉に帰るつもりでいますので朝はゆっくりです。
ゲストハウスなので、1泊2食とかではなく泊食分離です、モーニングもあるみたいですが、1階のカフェが複数の団体で込み合っていたので、私は近くのコンビニでおにぎりを買って食べる事にしました。
9時になると、もうトレランの人達も登山の人達も全員出てしまって、館内はとても静かです。
実はこの日、アウトドアメーカーの「Columbia」のシューズのセミナーが開催されていました、5月10日は、なぜ土曜日なのに休みまで取ってこの日を選んだかの理由は、このセミナーに参加したかったからです。
こちらがColumbiaが出した、川遊びで高機能を発揮する「シャンダル」サンダルと靴の機能性を両方兼ね備えた靴です。ネーミングセンスも良いですね!!靴のまま川遊びが楽しめます。
Columbiaのブランドヒストリーから、アウトドアシューズの専門的な技術的な話まで伺い、この夏はこの「シャンダル」を履いて川遊びにいろんな方をガイドしたいな!なんて思いました。(今はクロックスなので、ちょっと水の抜けが悪いです)
昨年の川遊びの様子(濃溝の滝・亀岩の洞窟)
昨年の川遊びの様子(チバニアン)
昨年の川遊びの様子(ナイショの場所)
その3にも少し書きましたが、リトリートとは「方法」ではなく「生き方」であって、最終的にはどんなリトリートであれ、日常に着地することが大事だと思っています。
私にとって、今回の「AIリトリートの着地」とは、実際に自分自身が身を持って経験したことを、こうしてブログに書き残して後に続く方たちの道標にすること。別に私通りの結果にならなくても良いのです、誰かの参考になれば、この経験も私だけのものではなく、ひとつの共通文化として育っていきます。
もう一つ、かなり現実的な着地としては私自身が専門学校のアウトドアコース講師をしていますから、こうしてColumbiaのスタッフさんから最新のアウトドアシューズについて学び(今の講義が、アウトドアギアのフェーズなのです)
それを実際に授業で生徒に還元すること、実際に翌々日の12日(月)に、さっそく千葉そごうの石井スポーツまで生徒を連れて行って、実際のアウトドア用品をシューズも含めレクチャーしてきました。
リトリートは自由で良いと思いますが(私もこうしてAIリトリートを開拓している訳で)世の中には、自己啓発の講義やスピリチュアルに傾倒し過ぎ、詰め込みのワークばかりで余白の無いリトリートも増えていると感じています。
そうすると、非現実を感じるばかりで自分と向き合う時間も無い、日常に戻った時に着地するだけのスペースも無い、地に足を着けない宇宙遊泳のようなフワフワしたものになってしまいます。
私は、きちんとこのAIリトリートを着地させたい、ブログにも時間を取って丁寧に書くし、専門学校の授業でもセミナーで学んだColumbiaのブランドヒストリーの作り方や最新のアウトドア用品のことを教え、社会に還元する。
少し体験を寝かしてから思いを纏め、1週間後を目安にAIリトリートの事について一気に書き上げる。
そんなことを思いながら、高尾ベースを後にしました(画像は高尾ベースから引用)
スタッフの皆さん、高尾ベースで出会った皆さん、いろいろありがとうございました!!
【最後のまとめ】
1泊2日ですが、かなり濃密な時間を過ごす事が出来ました。
ちょうど今日(2025年5月17日)で、高尾山でのAIリトリートから1週間です。
1週間、体験を熟成させると、その間もいろんなことを思い出します。今回のAIリトリートは、リトリート中の内観、内省と呼ばれる「自分と向き合う時間」の自己対話装置として、AIを活用するという試みでした。
正直なところ、AIと何を対話したかという部分は、あまり印象には残っておらず、私に一番印象深く残っているのは、夜の高尾山でした。
静かな静寂に包まれた駅前、暗闇から聴こえてくる川のせせらぎ、途中から降り出した雨、路地裏の家の灯り、遠くのサイレンの音、暮らしのリズムに、何か情緒的なものを強く感じていました。
これらはAIならではの「分かる」ことではなく、人間ならではの「感じる」部分の出来事です。
この体験を踏まえて、私にとってのAIリトリートとは何か?を考えたとき、このようになるでしょうか。
【AIリトリートとは?】
「AIを黙らせ、自分の内なる声で生き直すためのリトリート」笑
これから、AIはますます発展して行くでしょう、未来の人達が情報の波に溺れそうになったとき、AIに「答え」を求めすぎて疲れ果てたとき、ふと立ち止まって「いま、ここ」に戻ってこれるように。
そのために、私はAIリトリートという、ひとつの方法を文化として残しておきたい。
AIがどんなに発展しても、人間の感性「センス・オブ・ワンダー」までは代替できない。AIの「分かる」ではなく“分からなさ”を余白に抱きしめ、日常に着地していく力を、私たち「ヒト」はこれからも大事にしていきたい。
そんな事を、今回のAIリトリートで思いました。
【AIリトリートの方法3ステップ】
①自然豊かで、ネット環境の整った場所にリトリートする。
②今に留まり、AIを自己対話の装置として使用する。
③AIからもリトリートする。
おしまい
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【追記】自分のリトリート実践例です。
【リトリート番外編】
【リトリート休養術】