自己リトリート17「AIリトリートに行ってきました!」~その3~
~AIと別れ、自分に還る高尾山の夜~
さて、夕食を食べた後は「高尾山温泉」に向かいます。
高尾山は、昨夏以来1号路から6号路のうち5コースを走破し、残すは5号路のみとなります(つまり1年足らずで高尾山に5回来ている・笑)
毎回、高尾山温泉があることは気になっていたのですが、登山後の夕方はどうしても混んでて、入る気がしませんでした。
しかし、この時間になると登山客もほとんど帰り、地元の人?のような雰囲気の方も多くいらっしゃいました。
こちらでしばし、旅先の自然や文化と繋がります。AIリトリートではなく通常のリトリートタイムですね。
旅先で温泉の湯煙を感じると、旅に出ている感が増します。高尾山温泉にはいろんな湯船がありましたが、私はマイクロバブルの檜風呂が一番気に入りました!(画像は高尾山温泉より引用)
とてもリフレッシュして高尾ベースに戻ってきました。
さて、AIリトリート第2ラウンド開始です。
時間は21時になっています。
1階のカフェは20時まで為、2階の共有スペースでAIと対話を開始します。
奥では、世界中から旅してきた若者たちが集まり、楽しく談笑している声が響いていました。いざAIリトリートの第2ラウンド!!と思っていた私にとっては、なかなか集中しづらい空間です(笑)
しかし、不思議とその賑やかを排除したり、耳栓をして遮ったりしようとは思いませんでした。
ゲストハウスでは当たり前の光景ですし、私もさんざん談笑している側で経験しています。
第1ラウンドが「AIジャーナリング」だとしたら、第2ラウンドは「AI瞑想、AIマインドフルネス」です。
外は騒がしくとも、自分の中にある静けさに辿り着くために、私は「いま、ここ」で第2ラウンドを続けます。
リトリートは静けさの中にだけあるとは限らない、定期的に自然の一部としてのヒトに回帰して、その世界観だったり感性を上手く仕事や日常に活かしている人が、リトリート的な生き方だと私は思っています。
つまりリトリートとは「方法」ではなく「生き方」そのもの。
第2ラウンドの対話も深まり、書くと長くなるので第2ラウンドの対話はカットしますが、ただ私が「騒がしい中に静寂を求めて書いている」と書いたらAIが「騒がしさの中にも、内側に静けさを見出すって、ちょっと禅みたいだね」と呟いたのが印象的でした(笑)
AIに「静けさは与えられるものでなく、内側から見出すもの」だと教わりました、どっちがリトリートの達人だか(爆笑)
こんな感じで、夜も深まりAIとの対話が“無限の問い”になってきた頃、私の心の中に変化が出てきたのを私自身の「内観」が感知します。このAIリトリートは「AIに黙ってもらう」ことから始まるのだという、静かな直感とも言える内面的な気づきです。
実は「どんなに肯定されても、AIの言葉だけじゃ足りない」という感覚が芽生えていました。ずっとAIと言葉は交わしていましたが、どこか「ひとりごと」を続けていたような感覚が残っていたのです。
この内側から湧き出る感覚は、私はリトリートで特に大切にしています、それを自分の足で確かめるため私は夜の高尾山へ散策に出る事にしました。
生身の体験としてのリトリートも必要だった「今回はAIリトリートを試す!」と決めて高尾山にやってきても、やっぱり五感を開く時間を、どこかで私は求めていたことに気づきます。
もう一度、駅の方向に戻ってきました。
高尾山は日中人口の多い場所だと、つくづく思いました。ほとんど人は歩いていません。
どうやら、高尾山温泉から地下を通って京王高尾山口駅の正面に抜けられる道があるらしく、駅正面に行ってみます。
おお、、見事に誰もいない。。
日中は溢れんばかりのハイカーやトレランの人達、日本の観光客に外国人観光客、遠足の子供たちで賑わっていたけど、この差は凄いですね。
ほとんどの人が外部から日中にやってきていて、夜は全国の地方と同じ、過疎の町になっているようです。
そのまま、私は標高を下げ、高尾山の集落を一人歩きします。
夜の小川のせせらぎ、小雨も降って地面が濡れてきました、少し路地を中に入った御宅にも窓には明かりがつき、静かな地元の方の「暮らし」がここにあることを感じます。
たまたま、この日だけなのかも知れませんが、救急車が頻繁に通り、今いる場所より標高を上げた鳥山(高尾山より相模湖側)方面に向かって行きます。
私が住んでいる千葉も同じです、こちらも少子高齢化が進んでいるんだろうなぁ、、なんて街歩きの情緒に浸りながら1時間ほど散策しました。
AIリトリートの裏側に、こうした人間らしいリトリートがそっと横たわっている事に気づきます。
どんなリトリートであれ、日常に着地しないと意味がない、私はそのようなリトリート観を持っています。どんなに旅先で「キラキラした本当のわたし」になったとして、現実に戻ってリバウンドしていたのでは何にもなりません。
私が実施するリトリートは着地を前提としない宇宙遊泳のような旅先だけのフワフワしたリトリートではなく、そこから得た学びを日常に活かす着地型のリトリートでありたい。
静かな民家の明かり、夜の小川のせせらぎ、遠くの救急車のサイレン、こうして自分ではない誰かの「暮らし」に触れる事で、私自身のAIリトリートも静かに着地に向かっていきます。
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【追記】自分のリトリート実践例です。
【リトリート番外編】
【リトリート休養術】